たまちゃん
〜地域の中で生きる〜

杉の子会だより 第1号

1993年(平成5年) 8月発行

 5年前の10月3日、たまきは誕生しました。その翌日には救急車で金沢医科大へ運ばれ、 その日に十二指腸閉鎖症の手術を受け、検査の結果心臓にも穴があいている、 そしてダウン症との宣告、子の将来を思うと目の前がまっ暗になりましたが、 退院して家につれて帰ると、おじいちゃん・おばあちゃんはもとより、息子2人も とてもかわいがってくれるのが救いでした。ダウン症は早期療育が一番と聞かされ、 少しでも伸びてくれる事を願って4ヶ月からリハビリ、7ヶ月から大阪の子供の城 (ダウン症専門の療育機関)へ通い、満1才になると「太陽の家」へ入れて頂き、 親子で通いました。指導を受けながら何でも早くから取り組んだせいか1才半で歩き始めた ときは、とても感動しました。でもその後の言葉がなかなかでないので小児療育センターの 言語指導も受けるようになりました。3才になると地元の保育所へ入れていただき、 やさしい先生や友達に囲まれてすくすくと成長し、運動会や発表会でもたまきなりに がんばっているのを見るにつけ、みんなと共に生活する事の大切さをつくづく感じました。 トランポリンも上手になり、足腰も強くなってきました。終了式には一人で出て行って 証書をもらい「ありがとう」と言えた時には胸がいっぱいになりました。
 そして、今年の4月からは幼稚園に入れていただきました。最初は環境も変わり、 どうなることかと心配していましたが、今ではすっかりと慣れて喜んで通っています。
 今でも子供の城(今は福井で受けています)に月1回と児童相談所のふれあい教室(言語指導) に月2回通っています。言葉もだいぶ増えてきて2語文程度ですが、 よくしゃべる様になりました。(時々通訳がいりますが)来年は学校なので養護学校も 見学に行ってきましたが、できることならみんなと一緒にやってやりたいという気持ち もあり、どうしようかと悩んでいる毎日です。「希望をありがとう」の鹿島先生のような 先生がいてくださったら、そして、 「私が引き受けましょう」と言ってくださる先生 がおられたら、由子ちゃんのようにみんなと共に一年でもいいからやってやりたいと 思う今日この頃です。

−−二人芝居を見て−−
 大阪で「希望をありがとう」を観て何とか美浜での公演を、そして、地域の人たちに 障害を持った子供達を正しく理解してほしいという思いでいたところ、社協さんの おかげで実現することができ、感謝しています。でも、決まってからがさあ大変。 杉の子会と言っても4月に設立したばかりでさっそく大きな行事。まとまるだろうかと 心配になりましたが、声をかけるとほとんどの人が集まってくれて、いろいろと知恵を 出し合いポスターも自分達で作り、手分けして貼り、それぞれ知人などに頼みに廻り ました。前日は女優さん達と杉の子会の会員で打ち合わせをかねて懇親会をしました。 この時も会員のほとんどが夫婦で出席してくれました。先生役の和泉さんも 「他の所では障害・病気別に親の会を作っているが、杉の子会はいろんな障害を持った 子供さんを一緒にしてやっている所がすばらしい」と言って下さいました。
 又、女優さん2人共が自分の子どもを育てていく上でいろんなことに疑問を感じ、 障害のあるなしにかかわらず共に生きることの大切さを訴えたい一心で この「希望をありがとう」に取り組まれたそうです。
 いろいろな人にご協力を頂き当日を迎えました。どれくらいの人に見て頂ける だろうかと心配していましたが、たくさん来て頂き喜んでおります。 でもできたら近所の人達、そして、わが子の同級生のお母さんにはできるだけ たくさんの人に見てほしかったです(いろんな行事が重なってしまったことも ありますが)。でも、このお芝居のおかげで杉の子会はがっちりと まとまりました。とても4月に設立したなんて思えません。この間の反省会でも 和気あいあいと、何年も前からの知り合いのような雰囲気。この調子で 頑張りましょう。子供達のためにもね。会員のみなさん、賛助会員に なって下さった皆さん、これからもよろしくお願いします。

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